2009年1月31日土曜日

ひらく会議アンケート 澤田有紀さん

Q あなたにとって「ダンス」とはなんですか?

自分が生きていける場所



Q あなたにとって「コンテンポラリー」とはなんですか?
 
見ている側に自由な発想を生み出すもの。



Q あなたにとって「コミュニティー」とはなんですか?
 
まだ自分のことに精一杯な段階なので、その言葉はしっくりきません。
それについて、ちゃんと答えられる日が早く訪れたらと思っています。



Q あなたにとって、ダンス活動をするモチベーションの根源となっているものごとはなんですか?結論ではなくても、問いのままでも良いのでお答え下さい。
 
主に、美術作品。

2009年1月30日金曜日

ひらく会議アンケート 宝栄美希さん

Q あなたにとって「ダンス」とはなんですか?

A・今までもこれからもずっとなくならないもの


Q あなたにとって「コンテンポラリー」とはなんですか?


A・よくわかりません



Q あなたにとって「コミュニティー」とはなんですか?


A・難しい場所。自分の至らなさをひしひしと感じる場所。




2) あなたにとって、ダンス活動をするモチベーションの根源となっているものごとはなんですか?結論ではなくても、問いのままでも良いのでお答え下さい。



  私にダンスを与えてくれた人々です。

ひらく会議アンケート 鈴木よう子さん

Q あなたにとって「ダンス」とはなんですか?

A・身近で遠くて特別。


Q あなたにとって「コンテンポラリー」とはなんですか?


A・説明するのがめんどくさい言葉。



Q あなたにとって「コミュニティー」とはなんですか?


A・




2) あなたにとって、ダンス活動をするモチベーションの根源となっているものごとはなんですか?結論ではなくても、問いのままでも良いのでお答え下さい。



恋心。

ひらく会議アンケート 菅彩夏さん

1)
Q あなたにとって「ダンス」とはなんですか?
A.生活の一部

Q あなたにとって「コンテンポラリー」とはなんですか?
A.

Q あなたにとって「コミュニティー」とはなんですか?
A.何かどこかで共有するものがあって、それをもっと探究するものの集まり

2)あなたにとって、ダンス活動をするモチベーションの根源となっているものごとはなんですか?
A.踊ることによって感じる魅力と意地
日常

ひらく会議アンケート 手代木花野さん

Q あなたにとって「ダンス」とはなんですか?

いろんな意味で「術」。


Q あなたにとって「コンテンポラリー」とはなんですか?

「謎」。

なんか都合のよい言葉になってほしくないなと思う。

Q あなたにとって「コミュニティー」とはなんですか?

どんな状況でも作ってしまうんだなぁと思う。無限に存在するし。でも、最近、分かんないなと思うのがコミュニティを作れない人もいるのかもしれなくて、それともコミュニティに気付けてないだけなのか、作ったコミュニティに執着し過ぎてしまったのか。うーん…分からない。

頼ってもいいけど、利用してもいいけど、執着するのは、うもれるのは怖いな。うまく付き合わなきゃ。
人=コミュニティ



2)あなたにとって、ダンス活動をするモチベーションの根源となっているものごとはなんですか?結論ではなくても、問いのままでも良いのでお答え下さい。


相方。
兄・姉。

ひらく会議アンケート 菅佐原真理さん

1)
Q あなたにとって「ダンス」とはなんですか?
→大袈裟な言い方をすれば、生きてることを実感する行為。

Q あなたにとって「コンテンポラリー」とはなんですか?
→ジャンルとしての明確な主義・主張は持ち合わせてません。ただコンテの語源を踏まえて考えるのなら、現在進行形でダンスを自分の内から発信すれば、それをコンテと呼ぶのかもしれないとは思います。

Q あなたにとって「コミュニティー」とはなんですか?
→情報を収集・交換する機会の持てる集まり。



2)あなたにとって、ダンス活動をするモチベーションの根源となっているものごとはなんですか?結論ではなくても、問いのままでも良いのでお答え下さい。

→誰かに認めてもらって、それで自分を肯定することで踊り続けられるのだと思います。
後は単なるダンスバカなだけです。

ひらく会議アンケート 川口隆夫さん

1)3つの言葉について質問します。

Q あなたにとって「ダンス」とはなんですか?  


自分がどんな人間で、どんなことを考え感じ、どんな嗜好をしているのか、どのような状況に自分の肉体や感情、精神がどのように反応し受け入れあるいは拒絶し解決し乗り越えようとするのか、を発見する旅。作品作る途上で、問題が持ち上がったときに思いもよらない解決策を出したりすると、自分はこんなことをするのかと、よく驚く。ああでもない、こうでもない、あっち行ったりこっち行ったりしながらなんとか抜け道を見いだす、その道のり。

Q あなたにとって「コンテンポラリー」とはなんですか?

あることを表現するのに実にさまざまなメディア、手法、スタイルが可能になってきたことによって、新たな視点、感性、テーマも出てきた。インスタントカメラやホームビデオカメラ、さらにはデジタルカメラや携帯カメラの登場によって誰でもいつでもどこでも気軽に映像が撮影できるようになったことは映像芸術の内容やテーマにも絶大な影響を及ぼしていることは論をまたないでしょう。オルタナティブな形式や手法を思いつき発明することによって初めて思いつくテーマや内容だってあるよなって思います。そのように形式と内容は鶏と卵のような関係だと思うわけですが、歴史政治経済を含む社会状況、技術の進展、アーティストの意図や感性、それを受け止めるオーディエンスといった要素がダイナミックに交錯し合う場を<コンテポラリー>というのだと思います。


Q あなたにとって「コミュニティー」とはなんですか?

うーん、これについてはまだ考えがうまくまとまっていません。


2) あなたにとって、ダンス活動をするモチベーションの根源となっているものごとはなんですか?結論ではなくても、問いのままでも良いのでお答え下さい。


最近はここまできたらもうやめてしまうのはくやしいな、とも感じたりするのですが、目立ちたいとか舞台の快感みたいなものが大きい気がします。あるいはツアーでいろんなところを旅しいろんな人と出会い、いろんなおいしいものを食べる、っていうような欲望もかなりあります。そういったことも含めて、先に書いたように、舞台を通して人や社会とダイナミックにつながること、そしてそこに自分を映す鏡を見いだすことに大切な意義を感じています。

ひらく会議アンケート スカンクさん

Q あなたにとって「ダンス」とはなんですか?

ツール(僕にしてみれば音楽もツール)


Q あなたにとって「コンテンポラリー」とはなんですか?

新鮮さ(この場合は鮮度)。

Q あなたにとって「コミュニティー」とはなんですか?

今は定義出来ない。


ジャンル。カテゴライズ。行動範囲、、、この辺の言葉が連想される。
あまりプラスのイメージがない、、、思想や主義が伴う場合特に。

ひらく会議アンケート 大倉 摩矢子さん

1)3つの言葉について質問します。一般的なイメージや印象や共通認識のことは一度忘れて、個人的にどういうことだと感じるか、あるいはその言葉の印象あるいは違和感などをお書き下さい。

Q あなたにとって「ダンス」とはなんですか?

私にとっては、ダンス は 私がやるのは気恥ずかしいもの。
おそらく、小、中、高校、大学、、、と、およそかわいさや女性らしさと無関係に過ごしてきた私にとって
ダンスは バレエや創作ダンス、新体操、チアガール、、、という女性的な先入観があるのですね。
思春期のころからずっと自分は絶対にダンスとかする柄じゃないと思っていましたから。

今も自分のやっている舞踏の作業を ダンス だと感じたことがないので あまりよくわからないのが正直なところです。
舞踏 と ダンス という言葉は ちがうものだと感じています。



Q あなたにとって「コンテンポラリー」とはなんですか?

これもよくわからないです。



Q あなたにとって「コミュニティー」とはなんですか?

これもよくわからないです。
およそ 英語からくる横文字は私はよくわからないことが多いです。今の日本語全般的にです。
私は、日本語のほうがしっくりきます。
ダンス というと距離があるのですが、踊りというと自分と身近になります。

日本語では  コミュニティー というのは共同体 とか 集団 ということなのですね(辞書をひきました)。

そこに属するひとりひとりが 同じ目標にむかって、共にひとつの道を歩いて行くのが本来かもしれませんね。

私、舞踏とダンスは言葉では違うと感じると書きました。
でも、全ての物の根源はひとつだから
そこからはずれなければ、あらゆる人や物すべてとコミュニケーションできるはず。
そのうえにコミュニティーが自然発生的に生まれてくればよいのではないでしょうか。

また、ダンスのコミュニティーの話のことではないですが
今の社会からまなぶことは
最初に利害関係ありきの集団は戦争、そして崩壊につながるということでしょう。



2) あなたにとって、ダンス活動をするモチベーションの根源となっているものごとはなんですか?結論ではなくても、問いのままでも良いのでお答え下さい。


からだの内側にある力を信じること、ふれること、そのちからに生かされていることを理解したい。
そこからなにかが きっと伝わると信じて。

2009年1月29日木曜日

ひらく会議アンケート 手塚夏子です

1)3つの言葉について質問します。

Qあなたにとって「ダンス」とはなんですか?

状態、または状態の変化

Qあなたにとって「コンテンポラリー」とはなんですか?

モダンやポストモダンについて詳細を知らないながらも、何かに対しての疑問や怒りのリアクションをベースとした個人の独自性を追求していたのに対して、「コンテンポラリー」は前提を細かく解体して新たに組み立て直す、あるいは捉え直す、ことによって、個人の独自性の向こう側に関わりの可能性を模索する、というような作業という印象がある。


Qあなたにとって「コミュニティー」とはなんですか?

関わりの可能性を持つ人々

から幅があって↑↓

強い共通認識を持っているとお互いに信じている人々

まで。

でも本当はただの幅ではなくもっと多様なのかもしれない。
また、多様な可能性があるのかもしれない。
確かに、深くかかわり合おうとする時に生じる問題の前例や、法則みたいなものはある。人はそんなに変わらないから。でも、関わり方の模索はもっとできるし今まではあまりやられてこなかったように思う。
あれがだめなら、こうしてみよう、という試行錯誤は個人ではやれても、関わりにおいてやるのは難しい。夫婦ということを経験して初めて、関わり続けることの難しさとそれを乗り越える試行錯誤の可能性を見た。それには思った以上に根気が必要だ。思った以上に。ほんと、思った以上にね。

2)あなたにとって、ダンス活動をするモチベーションの根源となっているものごとはなんですか?結論ではなくても、問いのままでも良いのでお答え下さい。

一番始めは、自分というポジションをなんとかこの世界に確保しなくては、という衝動のようなものだったと思います。
変遷して、未知との遭遇という映画のオープニングみたいに、どうしても、自分の奥の方で見ている、感じている、形になっていないけど、なにか確かにそうだよ!という何かを形にしていきたい、アウトプットして行きたいという欲求になって行ったように思います。
さらに、それらを掘り下げると、他の人の欲求の根っこに、あるいは、過去の芸術や芸能の根っこに、なにか共鳴するような可能性を感じてそれをどうしても確かめて行きたい、それはなんなのか、知りたいし、また他の人はどう思うのか聞きたい、という欲求に変化して来たように思います。変化というよりその全てが今もいろいろなバランスをとりながら私を突き動かすように思います。それらを遮る全ての物に触れたくい気持ち、また、触れてしまうと頭を使いすぎてモチベーションが萎えるというかんじです。

ひらく会議アンケート 畑まりあさん

1)3つの言葉について質問します。

Q あなたにとって「ダンス」とはなんですか?

自分を包み込んでいる皮膚や筋肉といった肉体を、自らの意思で動かそうとするおこないが、ダンスなのではないかと思っています。普段意識することのない身体の感覚を意識することで生まれてくる動きはとても面白いと感じており、その動きを他者にみてもらうことや、感じてもらうことによって、ダンスになっていくのではないかと考えています。その面白さを他者に伝えるためには、動きを誇張する必要もあると思いますが、誇張しすぎることにも抵抗を感じてきました。

Q あなたにとって「コンテンポラリー」とはなんですか?

正直いいますと、何なのだろうと感じるばかりで私の中で統一したものにすることができません。

Q あなたにとって「コミュニティー」とはなんですか?

ある場所集まり、同じ場所と時間を共有する事、そしてその共有していることを認識していることで、コミュニティーは生まれていくと思います。誰かと直接話すことがなくとも生まれていくものではないかと思います。例えば、同じ場に居合わせることである人の前を通り過ぎるとします。その人をまた違う日に、違う場所で出会ったときにそこからすでに何かが生まれています。相手に対する何かしらの思いが生まれてくるように思います。こうしたことことが重なっていくことがコミュニティーを生むはじまりとなっていくと考えているので、例え相手のことを知らなくてもある空間に人と居合わせることや集まるということは非常に大切な事だと思っています。

2) あなたにとって、ダンス活動をするモチベーションの根源となっているものごとはなんですか?結論ではなくても、問いのままでも良いのでお答え下さい。

自分の体、人の体に興味を持ち続けていることが、私のモチベーションの根源になっているのではないかと考えています。
自分の身体が自分の思うように動かなかったり、自分の意思とは反する動きをすることがあります。自分の身体の動きと他者との動きを通して、体の中に潜む自分と他者の違いを大きく感じることがあります。
また空気の中で身体を動かすことで、実質的には目にめにみえない”線”や”何か”を感じることがあり、それはとても不思議なことだと感じています。

ひらく会議アンケート 大橋可也さん

1)3つの事柄について質問します。

・あなたにとって「ダンス」とはなんですか?

自分が生きていくために必要なもの。

・あなたにとって「コンテンポラリー」とはなんですか?

今ここにあること、必要であること。

・あなたにとって「コミュニティー」とはなんですか?

「自分たち」にとって必要なつながりだと思います。
それはけっして与えられるものではなく、あらかじめ存在しているものではないと思います。

2) あなたにとって、ダンス活動をするモチベーションの根源となっているものごとはなんですか?結論ではなくても、問いのままでも良いのでお答え下さい。

上の質問の答えと重複しますが、自分にとって必要だから、そうせざるを得ないから、という動機付けからダンス活動(と呼ばれるもの)をおこなっていると思います。
そして、自分にとって必要なこと、それがどういうことなのか、という問いへの答えを探すことが、自分にとってのダンス活動なのだと思います。

ひらく会議アンケート 山崎広太さん

1)3つの事柄について質問します。


・あなたにとって「ダンス」とはなんですか?
必要欠かぜるをえないこと

・あなたにとって「コンテンポラリー」とはなんですか?
それぞれのインディビジュアリティ

・あなたにとって「コミュニティー」とはなんですか?
必要欠かざるをえないこと


2) あなたにとって、ダンス活動をするモチベーションの根源となっているものごとはなんですか?結論ではなくても、問いのままでも良いのでお答え下さい。

想像の中で、確信に満ちたものを身体を通して現実化すること、それと絶えず何故ダンスをしているのか問い詰めること。

ひらく会議アンケート  垣内友香里さん

1) 3つの言葉について質問します。

Q あなたにとって「ダンス」とはなんですか?

表現行為の一つ。
私は大学時代から30歳くらいまで、演劇をやっていて、そのまま自然にダンス界に入りました。ダンスだからといって、特別変わったことはしていないし、変化したとも思いません。
自分の考えたことを動きに変換していく行為だと思います。

Q あなたにとって「コンテンポラリー」とはなんですか?

現代における社会とそれを通した世界。例えると新聞に近いです。社会面を通した、世界情勢といった感じです。

Q あなたにとって「コミュニティー」とはなんですか?

コミュニティーという言葉はほとんど使うことがなく、  ミクシイでしか聞いたことがありません。ミクシイもやらないので、リアルな言葉ではないです。

2) あなたにとって、ダンス活動をするモチベーションの根源となっているものごとはなんですか?結論ではなくても、問いのままでも良いのでお答え下さい。

最近思いついたことなので、ちかいうちに変わってしまうかもしれませんが、
「恐怖心」
です。
最近、とても興味があるテーマが、心の病、特に鬱病です。自殺者年間3万人を超える現代日本。自殺の理由の多くは鬱です。ひとがなぜ鬱になるのか、鬱のひとに向けた作品をつくることは可能なのか?
そして、なぜ私はそのことに興味があるのかを考えた時、私が今一番怖いと感じていることが鬱だと思ったのです。(ちなみに、少女時代はレイプ。20代の頃はエイズが怖かったです。)鬱病は条件さえそろえばだれでもなる病気です。自分が鬱になるのが怖いのです。とてもなりそうなきがするからです。
この考えに至る前には、
「差別」
が私を支配しているのかな?と思っていました。鬱の人を分析したり、研究したりすること、自分とは違うと思うこと、同情すること。私は鬱の人をある意味差別しています。ではなぜ私は差別するのか、人はなぜ差別をするのかと思ったとき、「恐怖」が心も身体も支配しているのではないか、と思い至りました。

ひらく会議アンケート 木野彩子さん

1)3つの言葉について質問します。

Q あなたにとって「ダンス」とはなんですか?

身体を通して自分の生き方を見直す作業。またそれに向き合う過程。
答えはないけれどそれを考え続けることが、大切だと思う。

Qあなたにとって「コンテンポラリー」とはなんですか?

同時代性という訳になるけれど、それをあまり意識したことはない。
昔は意図的に観客の視点や意識を変えることを(例えば見えないことにより想像力を増させる→ダンスは見るものという考え方に対する疑問の投げかけでもある)試みていた気がするが、最近はもう少し大きなドラマツルグのようなものに心ひかれる。
英国ではモダンとコンテンポラリーに差はないです。今作り出されるものはすべてモダンあるいはコンテンポラリーとよびます。クラシックに対する概念として1つです。

Q もし分かったらで良いのですが、ヨーロッパでは、どういう文脈で「コンテンポラリー」という名前がでて来たかご存知でしたら教えて下さい。また、「モダン」=「コンテンポラリー」と言ってしまえるものとして認識されていますか?あるいは、ある程度ニュアンスの違いがありますか?

コンテンポラリーダンスという言葉は確かフランス語のダンスコンタンポレンヌという言葉をうけてでてきたものだとおもいます。コンテンポラリーという言葉は日常的に使う言葉ではあまりないと思うのですがやはりアートの中ではよく使いますよね。
個人的にはモダンダンスというとよりダンシーなイメージがあり、コンテンポラリーというとダンス以前の身体に注目しているような気がします。コンテンポラリーダンスの方がアートや他ジャンルとの境目も少ない気がします。(その一方でグラハムとイサムノグチとか考えちゃうと微妙)
しかしそうなったときにパフォーマンスアートとコンテンポラリーダンスは何が違うのか私はよくわからないなあ、と思います。(たまたま最近パフォーマンスアートについて考える機会が増えていてきにかかっています)
ちなみにラッセルさん(私の振付家さん)は何か振り付けの賞を受賞したときにモダン部門になっていて、コンテンポラリー部門というのはなかったのを覚えています。(ダンサーの分野でもそう)ただ、ラッセルさんは比較的バレエベースの「振付家」なのでモダンというのも納得なのですが。

Q あなたにとって「コミュニティー」とはなんですか?

社会。
ただ実は私の現在の生活(ロンドンにおいて)では社会に接することがほとんどないことに気がつきました。


2) あなたにとって、ダンス活動をするモチベーションの根源となっているものごとはなんですか?結論ではなくても、問いのままでも良いのでお答え下さい。

実はそのときによってことなります。作品を作るたびにそのときに一番私のなかで問題になっていることを解決するというか納得するために作品を作ります。問題がなければ作品を作る必要性はなくなります。が、なにかあるので、作り続けなければ行けません。
実際問題作るのはかなりしんどい作業で、いつか作らなくてすむときがくると良いなあと思ったりもします。しかし作ることで私は人格を保つことができているような気がしています。

ひらく会議アンケート 山田うんさん

1)3つの言葉について質問します

・あなたにとって「ダンス」とはなんですか?

ダンスそのもの


・あなたにとって「コンテンポラリー」とはなんですか?

つきもの


・あなたにとって「コミュニティー」とはなんですか?

ゴミ当番



2) あなたにとって、ダンス活動をするモチベーションの根源となっているものごとはなんですか?結論ではなくても、問いのままでも良いのでお答え下さい。


止まらぬ思考と行動

ひらく会議アンケート 黒沢美香さん

Q あなたにとって「ダンス」とはなんですか?

生き方

Q あなたにとって「コンテンポラリー」とはなんですか?

もともと<コンテンポラリー>という言葉を知らないまま過ごしていたところから始
まります。<コンテンポラリーダンス>という名前でダンスが流通するようになって
からダンスが失速(国内では)する事態になった『よろしくない言葉』という印象を
今も感じています。今と言ってしまった今はもう過去になる、本来は素晴らしい言葉
だと思います。

Q あなたにとって「コミュニティー」とはなんですか?

共同体
囲い(かこい)
有り得ないことも可能にしてしまう力


Q あなたにとって、ダンス活動をするモチベーションの根源となっているもの
ごとはなんですか?結論ではなくても、問いのままでも良いのでお答え下さい。

思い返すと10年単位で揺れて変容してますが、25年位前は<疑問>と<怒り>か
ら始まったように思います。<コンプレックス>は形を変えても自身の活動を継続し
てくれる力のようです。

ひらく会議アンケート 山口礼子さん

1)

・あなたにとって「ダンス」とはなんですか?
  
 自身の身体感覚に迫る行為
 言葉を使わず、身体を人前にさらす行為 


・あなたにとって「コンテンポラリー」とはなんですか?
 
 混沌としたもの
 
  
・あなたにとって「コミュニティー」とはなんですか?
  
 和を強める性質のゆえに閉鎖的になりがち


2)部屋の中で一人の作業に没頭しているときに、不意に出てくる身体の面白い動き。また複数で過ごすときに、人と人のつくり出す形の面白さに出合ったとき。それらは人に向けたものではなくて、個人的なものに過ぎないとしても、
そこから生まれるエネルギーがすべての根源になっていると思っています。
しかしそれらを人に伝えようとしたとき、言葉のつたなさに途方に暮れることが多くあり、内面の身体感覚だけではどうしようもないこと、言語化の必要性を痛感します。

ひらく会議アンケート 中村恩恵さん

1)
ダンスとは、何者かが他者の心に何かを訴えることを動機として自身の身体を動かすことでしょうか?
例えば、鳥が求愛の踊りをしたり、人が神に雨乞いの踊りを踊ったり、共同体における精神生活のイニシエーションとしての踊りが有ったり。
木の葉や、旗もみるものが心を動かされるときには舞っているように感じますね。
自己完結しないということで、つねにインテンションが明確に方向付けされていると思います。他者、もしくは超越的なものに向かって。
美容目的の体操とか、格技の身体訓練とはその辺りが決定的に違うと思います。
踊りの訓練は、それらのものと同じ要素も含みますが、最終目的が異なると思います。

コンテンポラリー、
言葉のテンポラリーという部分だけをとれば、「仮に今だけの状況」という感じを受けます。現在進行形の感じがします。
コンテンポラリーなものは、常に刻々とすでにコンテンポラリーではなくなっていってしまうことを覚悟に、新しいのものを開拓し続ける精神を宿していると思います。

コミュニティー、
社会の最小単位が家庭として、その次くらいのものかしら。
私にはあまり実感のないものです。
どこかに帰属することによって得られる良きもの、それによって失われるものなどということが浮かんできてしまいます。



2)私は、ごく幼少の時から踊りがライフワークであると確信を持っていたように思います。
それは、どうしてかはわかりません。
今も、わかりません。
さなかがジャンプする!
どうしてでしょう。
これまでの人生の中で、踊りを通じて魂が震えるような体験をしてきました。心が燃え立つような、自ずと心から歌が沸き起こるような、こういう原動力はどこからくるんでしょう。
人が生きたいと願う気持ちはどこからくるのでしょう。
答えは、確かではないけれど愛かと思います。

ひらく会議アンケート 伊藤亜紗さん

1)3つの言葉について質問します。一般的なイメージや印象や共通認識のことは一度忘れて、個人的にどういうことだと感じるか、あるいはその言葉の印象あるいは違和感などをお書き下さい。

Q あなたにとって「ダンス」とはなんですか?

他人の時間をうばうこと。

一定時間のあいだひとを監禁する、というフォーマットの可能性をさまざまさぐることがダンスではないかと思います。監禁するというのは、観客(監禁された側)からすれば時間を銀行に預けたような感覚なので、「やられた!」にせよ「うっとり」にせよ、ちゃんと奪わたいと思って観に行きます。

Q あなたにとって「コンテンポラリー」とはなんですか?

AとBが接続されないままただそこにある状態をゆるすぬるさが「コンテンポラリー」という言葉にはあり、それゆえあまりいい言葉ではないとおもっています。ほんとうに今という時代をテーマにしようとおもったら、AとBのあいだのまだ引かれていない線を引く作業が核になるはずで、最終的なアウトプットの形態がダンスであれ小説であれ映画であれ、そこになくてはならないのは編集的な欲望だとおもいます。

Q 「AとBのあいだにまだ引かれてない線を引く」というのは、例えばどういったことですか?もし具体的な例があったら、教えていただきたいと思います。もうすこし実感できる気がします.


たとえばチェルフィッチュの「エンジョイ」は「漫画喫茶で働いていること」と「ホームレスになること」ということのあいだに線を引いていたとおもいます。「漫画喫茶で働くこと」に自分の生活を重ねることは容易だったので、この接続はかなりドキッとしました。ということは、「線を引く」ことの目的は、観客の想像力に介入することなのだと思います。



Q あなたにとって「コミュニティー」とはなんですか?

共同作業をしない共同体。ファンクラブ。

そもそも何かのファンになったことがないので、コミュニティーの感覚はあまりしっくりきません。ひとつの目標を共有しつつ各人がしたたかに自分の能力を発揮している「バンド」や「チーム」の方が自分の活動のスタイルにはあっているように思います。




2) あなたにとって、ダンス活動をするモチベーションの根源となっているものごとはなんですか?結論ではなくても、問いのままでも良いのでお答え下さい。

ダンス活動というか批評・編集活動についてのモチベーションは、現象に介入して誤読の種をひきだしてくることです。
作品を見て思ってしまったことを、仮説かもしれないけどちゃんと形にしてみることによって、それを読んだ誰かがまた勝手に「なるほど!」と彼の文脈に引き寄せて何かを獲得する。そういう建設と変形の連鎖を発動させることです。

Q どんな時にそのモチベーションが湧きますか?あるいは萎えますか?

モチベーションが湧くのはもちろんすごい作品をみたときです。すごい作品をみると自分の基準がゆらぐので言葉にして整理したくなります。
萎えるのは、雑誌運営的には、広告がとれない等経済的な条件によって活動を制限されるときです。

ひらく会議アンケート 岡田智代さん

1)3つの言葉について質問します。一般的なイメージや印象や共通認識のことは一度忘れて、個人的にどういうことだと感じるか、あるいはその言葉の印象あるいは違和感などをお書き下さい。

Qあなたにとって「ダンス」とはなんですか?

それがなにかを考える前に、身体から沸いてくるもの。

Qどんな時に湧いてくるもの?自分で意識して湧いてくるのかそれともいつ湧いてくるかまったく予測不能なものか?その湧いてくる背景みたいなものが、ちょっと聞けたらうれしい。

意識して湧いてくるときもあるけれど、むしろ身体の奥に潜在しているといったほうがいいかも。それはいつもすぐさま取り出せるものではなくて、いい状態で表出させるための手段をあれこれと試します。そのプロセスを自分で認められると大抵いいダンスがでてくる。


Qあなたにとって「コンテンポラリー」とはなんですか?

本日ただ今の、というもの。コンテンポラリー・ダンスという語には違和感があります。
コンテンポラリー・ダンスというカテゴリーに自分のダンスを投入したつもりはまるでなく、そのときのダンスを発表したら、そう呼ばれていた。

Qあなたにとって「コミュニティー」とはなんですか?

警戒すべきもの。なぜなら集団で動き始めたとたんに、統一を目指す力関係ができたり、多種多様な状態の受容に制限がかかるから。政治になっていくのを何度も見てきました。

Q あなたにとって、ダンス活動をするモチベーションの根源となっているものごとはなんですか?結論ではなくても、問いのままでも良いのでお答え下さい。

なぜ踊るのか?という問いとは違うのかな?
踊りたいから、踊ることが好きだから、踊りしかないから、だから踊り続けることで(ダンスを発表することで)世界とつながる。

Q なぜ踊るかという問いではなく、もしかしたらダンスでなくてもいいんですが、モチベーションが湧くときってどんな時だろうか、あるいは萎えるときってどんな時だろうか、ということでもいいです。

モチベーションが萎えるのはやっぱり人とうまく関われないとき。
原因は自分にあったり、相手にあったり、両方だったり、相手が集団の場合もあるよね。
それでもやっぱりやり続けようと思うのは、世界とつながっていたいから。
世界につながるという意識を主体的に持てるものが私にとってはダンスなのです。
ダンスでなくても、なにかをやり続けようと自分で工夫したり、努力したりしていると必ずなにかが開けてくる。これはもう絶対。体験的にそれを知っているから、苦しくてもやり続けようと思うし、うまく関わっているときの状態を大切にしている。あ、これは苦しくても、その状態になることができるということを忘れない、という意味ね。
時間かかることあるからね。

ひらく会議とは

「ひらく会議」積極的に関わっている三人が「ひらく会議」について書きました。今後参加して下さる方々がまた新たに書き加えて下さるとうれしいです。


ボーダーレス、何でもあり、という現象が当たり前になって久しい今の日本で、「コンテンポラリーダンス」の存在意義とはいったい何なのでしょうか。
「コンテンポラリーダンス」にあえてこだわってみましょう。
そして一度そこに「とじて」みること。
「コンテンポラリーダンス」のことを当事者自身が語り、その意味を考えることが必要だと思います。
そこから「コンテンポラリーダンス」の可能性が外へひろがっていくのだと信じています。
だからこそ、この集まりは、「ひらく」ための場になるのです。

大橋可也


ジャンルというものは、どのように発生するのだろうか?また、その定義も自然に生まれたり変化したり転がったりするようだ。それは日本に独特な状況なのかもしれない。気がつけば「コンテンポラリーダンス」という領域に属している。そこに「問い」をもちつつ関わりたい。

多様な価値も感覚も、外側からの視点に振り回されて摩耗してしまってはつまらない。独自性が摩耗しないで、クッキリとギザギザの輪郭を表したり、お互いを際立たせたり、ギリギリの接触が起きたりする、創造的で豊かな関わりの場としての「ひらく会議」でありたい。

手塚夏子


時代がポストモダンと言われて久しい。皆、バラバラになって、また違うエナジーが、部分的に燻りだしているのが、大橋さんだったり、手塚さんだったり、BALだったりしている。ダンスで言うなら、モダンダンスに対してポストモダン、ポストモダンダンスとは、どのダンスのジャンルにも属さない、あくまで個人が築きあげたことをいう。この二つの事を考えると、皆で話し合おうという「ひらく会議」をすることは、ポストモダンの次世代を、ひらいていくものだと思うのだけど。

山崎広太

2009年1月13日火曜日

手塚夏子です

We danceの打ち合わせに参加できず本当に残念でした.
アーティストの能動性と関わりの創造性が試される画期的な企画になる可能性を感じます。

私は、福留麻里ちゃんが作品を作る過程に立ち会うキュレーターと、広太さん企画のラウンドテーブル「ひらく会議」に司会として参加します。「ひらく会議」は、先日大橋かくやさんが行った帝国会議との横断的な企画です。会議とはいうものの、何か一つの答えを出すようなことではなく、「アーティストの言葉を聞きたい」というものです。ダンスを取り巻くメディアでは特定の批評家の言葉で占められています。悪いことではありませんが、視点が偏ってしまうことは確かだと思うのです。アーティストは言葉を知らないという偏見もあるかと思いますが、アーティストが持ってる独自の価値観や哲学を簡単には言葉にできない、ということでなかなか語られないことも多いと思います。でも、簡単に言葉にできないことの中に本質的な物事は息を潜めている、だからゆっくりと、ぽつり、ぽつりと、その何かをひも解いて行くために言葉を探してみたいし、またそれらがアーティストによって非常に差異があるだろうけれど、その差異を見ることでダンスとは何か、現代においてダンスシーンが役割を果たす可能性ということに少しずつ迫ってみたいと思います。

ということで、ぜひ今回の企画に関わっているアーティストの方に参加していただきたく、その旨談話室に投稿していただくか、私か広太さんにメールしてくださるとうれしいです。

よろしくお願いします。

手塚夏子